自分の心の声って何?ってなった話

 自分の心の声を聞きましょう、とよく転職本とか人生指南書に書かれている。
 まあこんな記事を書くということは、それが分からないわけで。いわゆる自分の軸というものが思い浮かばない…。

 ってなっていたのだが、つい最近ほんの少し見えたことがあるので、自省として書き残しておく。

 

 自分が人生に求めているものは、「安心して快適に暮らせる生活」である。
 冷静な分析として、自分には大事を為すためのハングリー精神が足りない。例えば大学生が日勤と夜勤のバイトを掛け持ちして稼ぎまくり、バッグや車を買うように。生活のための最低限の働きしかせず、あとは寝ていた自分のような人間とは正反対なのである。したがって、最低限の労力でしたたかに生きるのが目指すところだろう。……じゃあ何の職にするかはまだ考えているし、そもそも不器用なため、自身のタスク消化で精一杯なのだが。

 

 いま積読と読みを繰り返している本に、16世紀ヨーロッパの思想家モンテーニュについての本がある。彼は自分が「自分」として生きることの価値を重要視し、37歳で隠居して「自分の生活をつくる」ことにした。彼に言わせれば、人間の最も重要で大事なことは、何事かを為すのではなく、その日その日を平凡にでも生きていくことである。これは自分の価値観と合致するところが大きい。人は生きることそのものに意味があるのだ。宗教戦争とペストの中で編まれた彼の思想は、自分の考えに強い印象を与えた。


 もちろん功名心はある。だが、やはりそれを満たすのが難しいことも分かっている。偉人の本を読みすぎたのかもしれない。彼らの人生を知り、偉業を成し遂げ、名を残すことに憧れたのかもしれない。偉業の背景には、人それぞれ違った動機がある。貧困、愛国心、栄光など。であるからこそ、偉業の達成は一般化して考えることのできない、まさに「神のみぞ知る」結果となる。

 すなわち、偉業を為すことは究極的にはギャンブルと変わらないのかもしれない。


 己の認識における限界と、野望への追求心とに挟まれて、今日も頭の片隅で迷っている。

 全く、ままならないものだ。