自分の心の声って何?ってなった話

 自分の心の声を聞きましょう、とよく転職本とか人生指南書に書かれている。
 まあこんな記事を書くということは、それが分からないわけで。いわゆる自分の軸というものが思い浮かばない…。

 ってなっていたのだが、つい最近ほんの少し見えたことがあるので、自省として書き残しておく。

 

 自分が人生に求めているものは、「安心して快適に暮らせる生活」である。
 冷静な分析として、自分には大事を為すためのハングリー精神が足りない。例えば大学生が日勤と夜勤のバイトを掛け持ちして稼ぎまくり、バッグや車を買うように。生活のための最低限の働きしかせず、あとは寝ていた自分のような人間とは正反対なのである。したがって、最低限の労力でしたたかに生きるのが目指すところだろう。……じゃあ何の職にするかはまだ考えているし、そもそも不器用なため、自身のタスク消化で精一杯なのだが。

 

 いま積読と読みを繰り返している本に、16世紀ヨーロッパの思想家モンテーニュについての本がある。彼は自分が「自分」として生きることの価値を重要視し、37歳で隠居して「自分の生活をつくる」ことにした。彼に言わせれば、人間の最も重要で大事なことは、何事かを為すのではなく、その日その日を平凡にでも生きていくことである。これは自分の価値観と合致するところが大きい。人は生きることそのものに意味があるのだ。宗教戦争とペストの中で編まれた彼の思想は、自分の考えに強い印象を与えた。


 もちろん功名心はある。だが、やはりそれを満たすのが難しいことも分かっている。偉人の本を読みすぎたのかもしれない。彼らの人生を知り、偉業を成し遂げ、名を残すことに憧れたのかもしれない。偉業の背景には、人それぞれ違った動機がある。貧困、愛国心、栄光など。であるからこそ、偉業の達成は一般化して考えることのできない、まさに「神のみぞ知る」結果となる。

 すなわち、偉業を為すことは究極的にはギャンブルと変わらないのかもしれない。


 己の認識における限界と、野望への追求心とに挟まれて、今日も頭の片隅で迷っている。

 全く、ままならないものだ。

名前を呼ばれるということ

 高校を卒業した日、家に帰ったあとに寝床へぶっ倒れた。

 卒業式をつつがなく終え、涙ぐんだのも少しであったのに、家の扉を閉じた瞬間に自分の心は、惜別の念に堪えなくなったのである。


 ぶっ倒れた自分は30分~1時間ほど眠っていた。そして不思議な夢、もとい思い出を見ていた。

 それは、今まで高校で関わった人に名前を呼ばれる、というものだった。

 クラスメイトに始まり、部活仲間、先輩後輩、それと恩師。

 各々が、名字(自分の名字はかなり呼びやすいもので、今までほぼ名字で呼ばれていた)、名前、愛称と、彼ら彼女らがまるで走馬灯のように、自分を呼ぶ声が聞こえたのだ。そんな呼びかけの思い出に涙していた。


 なぜ呼びかけの思い出に浸っていたのか。思うに、名前を呼ばれることで自身の存在が受け入れられていたと実感していたのではなかろうか。名前を呼ばれるというのは、呼ぶ者から存在を認識されていることを示す。私は確かにあの場で存在できていたという実感だ。


 それほどまで母校へ思い入れがあった。通っていた高校には実に様々な方面に優れた人がいた。その環境の中で存在できたことは実に幸運で、幸せであった。

 そして何より楽しかった。話す話題にしろ、振る舞いにしろ、彼ら彼女らの感覚は自分のそれとマッチしていたから。内申書に怯えていい子を演じ、同じレベルで語り合える友を見つけられず、鬱屈した中学時代から解放された気分だった。まさに、自分らしい自分として生きることができた。

 つい先日、中学の同級生に「お前は本能で生きているともっぱらの噂だった」という話をされた。もちろんいい意味でも悪い意味でも。だが彼は知らない、それですら持て余していた自分を我慢させずにいられた高校時代の姿を。別に裁きを下したいわけではないが、なぜかそんな反論を思い浮かべていた。


 自分にとっての高校卒業は、生きながら進行形で感知できた「人生のひと区切り」だったのだろう。まるで、「ここまでの物語は一度終わり」と章を終えられるような。そしてまた新しい物語を紡いでいかなくてはならない。それも新しい環境で。旅立ちが恐ろしく、寂しかったのである。

 

 居心地が良すぎるのも考えもので、次のステージに行く勇気をなくしてしまう。いつだって、安心できる場所からの旅立ちには、少し足がすくんでしまう。

 それでも結局なんだかんだで今はやっていっているのだが、未だに卒業の日のことは忘れられない。あの時受け入れられた喜びを忘れることはできない。
 

とくせい:ものあつめ

 オタクの習性の一つに「物を集める」というものがある。

 

 大学時代、ネットに転がっているフリーの論文をたくさん集めていた。
 フリーの論文というのは、学術誌に掲載された論文が著者の意向などで、PDFファイルとして無料でダウンロードできるものである。探すのはさほど難しくなく、Googleで「学力 経済 PDF」の様な感じで検索すればすぐ出てくる。
 そうして集めた論文をクラウドとかにアップしておいてそのまま電子書籍風に読んだり、印刷してファイリングしたりしていた。
 まあ集めることに主眼が置かれすぎて、卒業から数年が経っても読めていないものが数知れず…。それでも、興味のある論文をフォルダに揃えるだけで、なんとなく充実感を味わえるものだ。

 

 思い起こせば小学生の時は、ゴミ捨て場のラジカセを持ち帰って親にこっぴどく怒られたことがある。当時直せば使えると強弁したが、やる気はともかく幼い自分に直せるスキルがあるかは別問題で、間違いなくその時には直せない代物だった。アメリカのガレージ文化(車を入れるガレージでいろいろ製作したり発明するやつ)が羨ましかった。

 

 そして、就活時。先輩に勧められて、ストレングスファインダーという自分の強みを調べられるツールを使った。様々な要素のうち上位3つの強みを教えてくれるのだが、自分の結果には見事に「収集心」が含まれていた。それも最上位に。なんでも、収集心が強い人は物事への好奇心が強く、興味がある物や事柄、知識を手に入れていくらしい。まさに文字通りである。

 

 なんなら今ですら、積み本を増やしていくばかり。

 本の購入は知識と物欲を同時に満たせてしまう魔法の手段だ。特にブックオフは自分にとって魔境で、千円札一枚で3,4冊も積み本を増やせてしまう。何せこの様にして、一人暮らしの部屋に文字通りの積み本タワーが完成して引っ越しの際に猛威を振るったのだから……。(通算でダンボール6箱ほど溜めている)何かの拍子に、雑貨屋か古物商か博物館かを開いているかもしれない……。

 

 他にも実家に眠っている大量のミニカーとか、各種文房具とか、収集癖には枚挙に暇がない。それは裏を返せば、断捨離とか整理整頓が苦手なことにも通ずるものがある。

 収集癖と整理整頓というの2つの成分は、人によって相性が良い場合と悪い場合がある。前者はディスプレイするタイプで、集めたものをキレイに飾ることが快感となる。一方、後者は本当に物を集めるだけ。空間は倉庫化してしまう。自分は後者で、なんとも情けない。まあアインシュタインとか偉大な学者とかは部屋が汚かったらしいし……と逃げる。なおそのために人を家に招けないのだが。

 

 ちなみになんでまたこの様な自己分析文章が生まれたかというと、やはり転職活動である。20代も半ばを過ぎ、自分との付き合い方がなんとなくわかってくるようになる中で、それでも仕事と向き合うために自分を構成する要素を吟味し直すためである。転職系の話ではこれを「人生の棚卸し」というそうな。こうして自分の軸を再確認していくんだとか。あ、自分の心の声を~とかいうのはまた別記事にて。

 

 


 ……とりあえず、将来は壁一面に本棚を作ろう。

遊園地のナン

 初めてナンを食べたのは、先日閉園した練馬区の某遊園地であった。

 

 親戚のツテでよく入園券が手に入ったらしく、別にその遊園地の熱烈なファンという訳ではなかったものの、1年に一度くらいは訪れていたように思う。

 その遊園地の外の売店で提供されていたのが、件のナンである。

インドカレーだと銘打つも、ネパール人なのかインド人なのかはわからないが、外国の方が店に立っており、その売店の周りには常にインドカレーの香ばしさが漂っていた。

 

 なぜそこのナンを妙に覚えているのか。それは、ナンを焼く工程を目の前で観察できたためだ。

 皆さんは、ナンがどのように焼かれるかをご存知だろうか。大抵のインドカレー屋では厨房は席から離れて存在するため、その様子を知ることは難しいと思う。しかしその遊園地のナンは外の売店であることから、調理工程が丸見えであった。

 

 その光景は今でも記憶の片隅に保存されている。

 生地をこね、おおよそ円状に成形した後、それを筒状のオーブンへ入れる。このオーブンというのがユニークである。箱型ではなく円柱の筒が縦に埋められたようである。その筒の内側部分へ生地を打ち付けるように貼り付け、熱を加えて焼き上げるのだ。一般的なナンが水の雫のような形状をとるのは、生地が叩きつけられたときに変形し、そのまま焼かれるためである。(もちろんそういう形を目指して成形もするのだろうが)

 こうしてできたナンに、バターチキンカレーをセットにしていただく。思えばここでバターチキンカレーへの愛が芽生えたのか、今もインドカレー屋ではバターチキンカレーが好みだ。

 

 ナンの話ばかりで恐縮だが、遊園地自体もなかなか楽しかった。しかし、一番はじめに思い出すのはナンで、アトラクションではない。

……というのも、その遊園地へ行きたがっていたのは、子どもたちより母だった(と思う)。ある時、なぜそこまで行きたいのか理由を聞いてみると、彼女は「思い出作り」と答えた。(同様の理由で、家族全員で劇場版ROOKIESを映画館へ観に行ったりもした。)

 

 結局遊園地はなくなり、そこでの記憶は家族との団らんよりもナンである。「思い出作り」が成功したのかわからない。少なくとも、今もう一度同じ光景は見れないのは確かだ。

 

 

 思い出とか家族なんてそんなものだ、と少し言い放してみる。……あぁ、ナンとバターチキンカレーが食べたい。それだけが残渣だから。

リアル恋愛シミュレーションゲーム [短編小説]

  B氏は後悔していた。

 もし目の前に過去の自分がいたならば、ひどく叱りつけ、罵り、平手打ちを食らわせていたであろうほどには、彼は腹が立っていたのである。

 

 

 それは先日行われた高校の同窓会に出席した際のことであった。30を目前に控えた、いわゆる「アラサー」になって行われる同級生との顔合わせに、B氏は懐古と期待を胸に意気揚々と臨んだ。しかし、彼はこの世の終わりのようなショックを受けることとなる。初恋の女子が友人たちと結婚生活について語っているのが聞こえてしまったのだ。

 その初恋の女子は、彼にとっては特別な思い出である。現在に至るまで交際経験のない彼にとって、彼女は高嶺の花であり、希望であった。99.9%の確率で手が届かないとして、それでも彼女のことを考えるだけで浮足立ってしまうほどには。

 そんな希望が崩れ去ってしまったのである。

 聞けば、結婚相手は大手IT企業の幹部だという。おまけに2人の子どもにも恵まれたらしい。彼女夫妻が都内の一等地にそびえ立つ高層マンションで幸せを体現する中、毎日過労気味に、(奇しくもそのお相手の孫請け企業で)モニター画面と向き合う自分が、貴族と農民のような格差の中生きていることを知ってしまった。

 彼は己の世界を揺るがす衝撃に耐えられず、立食パーティーの途中で帰宅してしまった。彼を気遣う友人からのメッセージにも適当に返信し、そのままアルコールに身を任せるように彼は寝た。

 

 翌日、休みで良かったなと二日酔いで痛む頭に悩ませされながら、昨夜の「事件」を思い返すと、ふつふつと高校時代の自分に怒りが湧いてきた。

 なぜもっと声をかけなかったのか。なぜもっと関わらなかったのか。なぜ、なぜ、なぜ。そうすれば今頃は……

 自己嫌悪の渦に巻き込まれているところ、玄関のチャイムが鳴らされる。築年数に見合う古ぼけたチャイムに返事をしドアを開けると、そこには異様に肌の白いスーツの男が立っており、B氏にこう話しかけた。

 

「わたくし悪魔と申します、人生をやり直してみませんか?」

 

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 悪魔を名乗るセールスを部屋に上げたB氏は、半信半疑で彼の話を聞く。

「……で、この人生やり直しってなんだよ、時間でも巻き戻すのか?」

「それに似たようなものでございます」

 と一枚のチラシを見せてきた。チラシには「リアル恋シミュレーションゲーム」と派手な書体で書かれている。

「なんだ、これは」

 と聞くと、セールスは続ける。

「これはわたくしども悪魔が開発している、まさに新機軸のゲームでございまして」

 セールスはB氏を見つめ、まるで本物の悪魔のようにニタリと笑いながら、

「あなたの好きなアニメでも、歴史でも…もちろんあなたの高校時代でも土台にしてプレイしていただけます」

 と答えた。

 B氏の心は大きく揺らいだ。あの果たせなかった初恋を成功させられるかもしれない……!

 B氏は身を乗り出すように肯定の返事を返そうとしたが、ふと我に返る。相手は悪魔だ。何か、思いもよらない代償が発生するに違いない。そこでB氏は念を入れるように「悪魔」に問いかけた。

「……悪魔の誘いには大きな代償が付き物と決まっている。まさか命を取るとかじゃないだろうな」

 「悪魔」はまた薄気味悪い笑みを浮かべてスラスラと答えた。

「そんなことはございません。あなた方のその噂程度の言い伝えは、我々悪魔の中でも過去のお話ですよ。時代はSDGs、そう持続的な『開発』が必要なのです。」

 そしてそっと付け加えるように

「そんなに簡単に命をいただくのは、『勿体ない』ですから」

とつぶやいた。

 その言葉を聞き、心のうちに何かぬるりと冷たい感触を覚えたB氏は、念を入れることにした。

「それならば、俺からは何も取らないというのか?」

「今回はモニター扱いといたしますので、大層な条件はございません。強いて言えば、ゲームをプレイする時間をいただくぐらいでしょう。」

 B氏は説明を聞き、少し考えたあとこう言った。

「失われた時間を得るために、今の時間を使おうじゃないか」

「……ご契約ありがとうございます」

セールスの目は鈍く光っていた。

 

 

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 数日後、B氏が案内状を持ってやってきたのは、都心部の中心からは少し離れた、古ぼけた雑居ビルだった。半信半疑でビルの階段を上がっていき、目的の階につく。案内通りの部屋番号のドアには牡羊のシンボルが彫られており、チープながらもわかりやすいな、とB氏は思いながらドアを叩いた。

 出てきたのは先日家に来たあのセールスである。

「お待ちしておりました。どうぞ中へ」

 部屋に入るとB氏はたじろいだ。この部屋が入っている雑居ビルの外観とは似つかわしい、白で統一された無機質な空間だったのだ。窓には重いブラインドが下ろしてあるせいで、部屋は昼でも天井の蛍光灯を点けないと真っ暗であろう。

 そして、部屋の真ん中にはぽつんと椅子があった。銀色でピカピカとしたフレームに、重厚な革張りのシート。リクライニング機能がありそうだ。足置きまでついている、さながら近未来的なデザインと言ったところ。

「こちらに腰掛けてください」

 言われたとおりB氏が座ると、セールスはどこからかこれまた先進的なデザインのヘッドマウントディスプレイを持ってきた。端末はコードがいくつも繋がれたヘルメットのようで、少し重そうだ。

「もうすぐ、あなたのお望みの時間が得られますよ」

「はは、それは楽しみだ」

 軽口を叩きながらヘッドマウントディスプレイを被る。目の前の画面にはシミュレーション設定とあり、項目として年代やシチュエーション、自分の年齢やシミュレーションの舞台が挙げられていた。B氏は高校時代の記憶を確かめるように一つずつ設定していく。

 

 設定が終わり、「シミュレーションを開始しますか?」という表示にYesを選ぼうとすると、セールスが話しかけてきた。

「そういえば申し上げ忘れておりました。B様は今回モニターとなります。このゲームは開発中なこともあり、プレイ可能時間は30年となります」

「30年……?つまり高校3年間だけやり直すなら10回分もできるということか」

「さようでございます。ですが、もし少し代金をお支払いいただけるなら、追加のオプションもお付けできますよ」

B氏は興味津々に聞いた。

「なんだそれは?」

「恋愛のあとには結婚が待っているもの。このオプションを付ければ、射止めた方とのその後の結婚生活までお過ごしいただけます。」

「ほほう、それはおもしろい。どうせ貯金は全てはたくつもりだったんだ。それも追加してくれ。」

「承知いたしました。」

 新たな楽しみも増え、B氏は胸を踊らせながらYesを押した。

 途端に激しい眠気に襲われる。

 困惑と眠気の中で、セールスの「良き夢を」という声が妙に頭に響いていた。

 

 

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

「あんた早く起きないと遅刻するよ!!」

 階下の母の声で目覚めたB氏は驚いた。付けていたはずのヘッドマウントディスプレイはなく、見回した部屋は高校時代の記憶通りだった。クローゼットには懐かしの学生服がピカピカと輝いている。

「ああ、本当に『戻れた』んだな」

 B氏は少し感慨にふけった後、遅刻しかけていたことを思い出すと、何年ぶりかに学生服に袖を通し、階下のリビングに向かう。

 食卓には懐かしい母の手料理が並んでいた。母も高校時代の記憶のママ、若く元気で少し口うるさいままだ。

「入学式から遅刻してちゃ笑われるよ、ほら早く食べな」

「うん、いただきます」

 懐かしい味に涙腺が緩みつつ手早く食事を終える。

 身支度をすませ、新品の通学カバンを手に玄関を開けようとすると、後ろから

「いってらっしゃい」

と母の声がした。ああ、本当に懐かしい。

「いってきます」

 B氏は少し恥ずかしそうに答え、家を出た。

 

 猛ダッシュによりなんとか入学式に間に合うと、式後はクラス分けと自己紹介の時間である。そして記憶では……

 振り分け先のクラスに入ると、心臓がどきりとした。

 あの初恋の女子がいる。

 そう、記憶どおりなら彼女とは3年間同じクラスだった。しかし、過去のB氏は結局業務会話しか交わせないまま卒業してしまったのだ。

 今度こそはそんな終わりは避けてやる。初日のHRが終わると、B氏はすぐに彼女に話しかけに行った。

「あ、あのよろしくね。……あのドラマ面白いよね」

「え、ああ、よろしく。Bもそれ見てたんだ」

 なんとなく素っ気ない返答をされた気がするが、今は会話をできたことを喜ぼう、とB氏は帰り道で己に語りかけていた。

 

 それから、彼女には事あるごとに会話をしに向かったが、高校生活が進むごとにクラスカーストやグループができたために、段々と近寄りがたくなってしまった。なんとか声をかけてもノリが合わない。結局、1回目の高1はうまくいかなかった。

 高2になり、少し周りが進路について気にし始める頃。ある日B氏はまたも同じクラスになった彼女の進路希望表が落ちているのに気づく。拾い上げて読んでみると、「第一希望 管理栄養士」と書かれた下に「ファッションデザイナー」という字が消されたあとが見えた。そういえば彼女は流行にくわしく、一時期読者モデルもやっていたという噂があった。なるほど、彼女にピッタリの夢だ。

 B氏が希望表を眺めながら納得していると、彼女がやってきて紙をひったくった。

「……何勝手に見てんの。キモい」

「い、いや落ちてたから......」

「落ちてたらプライバシー侵害していいんだ」

「それは違うけど……」

「はー、もういいから」

 そう吐き捨てると彼女は教室を出ていった。

 

 それ以後、彼女との仲は険悪になり、高2どころか高3まで話すことはなく、そのまま卒業の日を迎えてしまった。今回の失敗は、あの進路希望表の件だろう。しかしそこからハッピーエンドまで持っていくには、いかんせんパズルのピースが足りない。

 今後の計画を練りながら家に帰ると、自室のベッドの上には「やり直しますか?」というウィンドウが浮いていた。

 そうだ、次は1回分をまるまる使い、彼女を観察してみよう。そうすれば何か糸口が掴めるかもしれない。

 そう思いながらYesを押すと、世界が暗転した。

 

 

 

 

 2回目。1回目よりは余裕を持って学校に向かうと、振り分け後は早々にクラスへ入る。

 そういえば、朝起きてからの母の会話や旧友の会話は1回目と同じものだった。記憶をもとにしているのだから、よほど自分が行動を変えない限りはシナリオが決まっているのかもしれない。……まあその「決まったシナリオ」は絶望の未来なのだが。

 さて、3年丸々かけて観察していると、いろいろわかったことがある。高1に付き合った彼氏とは高2の夏に別れること。原因は彼女の親の厳格さにあること。進路希望は親の意向に沿って書き換えたこと。それでも実は裏でファッションに関する勉強をしていたこと。しかし高3の進学先決定で親の圧に負け、一般大へ進学したこと。華やかな見た目ながら浮つきすぎず、ひたむきなこと。

 自分が気づいていなかっただけで、高嶺の花と思っていた彼女は、相当な葛藤の中に生きていたようだ。B氏は己の浅ましさ、幼さを再認識した。

 そしてこの葛藤を解決できれば、真のハッピーエンドにたどり着けるんじゃないだろうか。2回目最終日の夜、やり直しの選択画面が表示されたウィンドウを前に彼女の観察メモを一通り見直し、次回のプランを練ってからウィンドウをタッチした。

 

 

 

 

 3回目からは試行錯誤の連続だった。彼女が仲良しグループに隠れて、放課後に通う図書館でばったり会ってみたり、休みの日に彼女の好きそうなファッション店が並ぶ通りにいってみたりと、彼女との接点を増やすよう心がけていた。あまりにも頻繁に出くわすものだから、普通だったらストーカー扱いされてしまうだろうが、やり直しにより記憶がリセットされている以上、そのような心配はあまりしなかった。

 そして6回目の高校生活にて、B氏はついに正解ルートを導き出した。彼女に高校入学時から積極的に話しかけ、かつ嫌悪感を与えずに好感度のみを上げていくのである。ここまでの繰り返しの中で、彼女の好みや嫌がること、趣味趣向を網羅し、彼女の悩み事や相談に対して的確なアドバイスを行い、信頼度を上げていった。そうして二人で外出するなど、好感度の上昇も図り、B氏は名実ともに彼女の中で大きな存在となった。

 成功した6回目の高校生活の卒業式後、もう見慣れた卒業証書の筒を手に家の前につくと、久々に見る怪しいスーツの男が立っていた。そう、あのセールスである。

「ご無沙汰しております。この度のご成功おめでとうございました。いやはや、なんともよき高校生活を送られたようで。」

「ああ、ありがとう。でも、これで高校はもういいかな。やりきれた。」

B氏は清々しい顔で答えると、セールスは相変わらず気味の悪い笑みを浮かべて、訪ねた。

「それでは、追加オプションの方を選ばれますか?」

そういえばそんな話を最初にしていたな、とB氏はようやく思い出していた。

「そうだったな、頼みたい。どうすればいい?」

「このままいつものようにご就寝までお過ごしください。その際、表示されますウィンドウでYesを押していただければ、高校卒業後の生活編へ移行いたします。」

「分かった。」

そうしてこころなしか浮ついた様子で家に入るB氏を、セールスは下卑た薄笑いをした目で追い続けていた。

 

 

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 こうして高校を卒業したB氏と彼女は、共に都内の学校へ進学した。B氏は国公立大、彼女は服飾の専門学校と進学先は異なったが、お互い数年の同棲を経て、就職と同時に結婚した。

 大手企業で勤めだしたB氏と自身のファッションブランドを立ち上げた彼女との間には二人の子供が生まれ、家は都内でタワマン、しかも高層階。まさに「成功した家族」という言葉にふさわしい暮らしをしていた。

 そんな生活も、高校生活で費やした分を差し引いて残り12年分となっていた、体験期間の終わりが迫っていた。B氏は、残り1ヶ月のところでの、枕元に現れたあのウィンドウ通知に、改めて「夢」の終わりを思い知った。まだ終わらせたくないと、密かに何度もセールスへ伝えようとしていたが、「申し訳ありませんが、体験期間の延長は承ることができません。」というセールスからのメッセージが、ウィンドウに表示されるのみだった。B氏は現実を受け入れるとともに、最後に何か爪痕を残したいと考えていた。そんな折、夫妻のもとに高校の同窓会のお知らせがやってきた。それも、日取りは期間終了日である。B氏は考えた。現実では惨めな思いをしただけだったが、今度はそのお返しをしてやろう。彼は彼女に同窓会出席の旨を伝え、それと同時にどんな言葉でクラスの皆を嘲笑おうかとイメージトレーニングに励んでいた。

 同窓会当日、ハイブランドの高級なスーツに身を包んだB氏は、同じく高級なドレスを纏った彼女を連れ、同窓会に向かった。会場では、仲良くしていた友人と談笑しながらも、自らの成功っぷりを存分に見せつけていた。会話が漏れ聞こえる。

「あいつ、大手の〇〇で部長らしいぞ」

「しかも年収は2000万はあるらしい」

「タワマンで、家族暮らしだろ、いいよなぁ」

 B氏はこれ以上なく満悦していた。これだ。この目を浴びたかった。この羨みを。この妬みを。どうだ。これが俺だ。

会はもはやB氏の独壇場となっていた。




同窓会後。帰宅して就寝準備をする。彼女と子供はすでに寝てしまっているが、B氏はある意味では「もう眠れない」。ベッド上には忌々しいウィンドウが浮き、「体験期間終了です。ご利用ありがとうございました。」と表示されていた。

彼は最後に、愛しい妻となった彼女と子供の額にキスをすると、ウィンドウのYesに触れる。

「さよなら、俺の家族。」

B氏は意識を失った。

 

 

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 B氏が目を覚ますと、眼前には最早懐かしいヘッドマウントディスプレイがあった。手で押しのけてシートから立ち上がる。長いこと寝ていたために体に力がうまく入らず、少しよろめく。ふと、誰かに支えられる感覚があり、振り向くとあのセールスがいた。

「長期間お疲れさまでした。」

「……ありがとう」

「いかがでしたか、さぞかし楽しまれたことでしょう。」

「……ああ、本当に楽しかった。長い夢だった。」

「それは良かった。」

 セールスが水の入ったペットボトルを差し出すと、のどが渇いていたのか、B氏は一気に飲み干した。

 セールスはひとまず落ち着いた様子のB氏に話しかける。

「改めまして、ご体験ありがとうございました。体験本来の『料金』はもう頂いておりますし、追加オプションの代金は後日『ペイフル』で請求させていただきますので、ご確認ください。」

B氏は首を傾げた。

「ん…? 俺はもうなにか払ったか? そしてなんだその『ペイフル』って。俺は聞いたことないぞ。」

セールスは待ってましたと言わんばかりに口角を上げながら、

「『ペイフル』は電子決済システムなのですが…おっと、失礼しました。一点説明し忘れていましたが…」

セールスが閉じていたブラインドを上げると。

 

 

窓の向こうには、明らかに体験前とは違う都市が広がっていた。

見たことのないビル群に浮遊する車、人の服装まで違う。



「…おい、なんだよこれ」

「体験開始時より、終了まで30年経過しております。」

B氏はセールスが何を言っているのか理解できなかった。しかし、契約前にセールスが言っていった「強いて言えば、ゲームをプレイする時間をいただくぐらいでしょう。」という言葉が頭をよぎっていた。

「お前…まさかっ!?」

「はい。『プレイ期間そのままの時間とプレイ中感情の動き』が『料金』でございます。」

「ふざけるのも大概にしろ!今すぐ返せ!」

 セールスは深くお辞儀をし、

「それはできかねます」

と返したのだった。

そして、続けて

「お帰りはあちらへ。」

とドアを指し示した。

 もはやB氏は30年何もしていないどころか、存在証明できるかすら怪しい時代の難民になってしまったのである。

「……そうか……ああ……命すら取ってくれないんだな……。」

セールスは答える。

「ええ、時代はSDGs、そう持続的な『開発』が必要ですから。」

「持続的……そうか……」

 B氏はうなだれながら出口へと向かった。

「またのご利用をお待ちしております。」

 セールスの言葉を背に部屋を出るその表情は青ざめながらも、口元にはなぜかわずかな笑みを浮かべていた。

机と椅子買ったし何か書く

 何か長めのものを書く趣味を持とうと思ったとき、ちゃぶ台では都合が悪いと初めて気づいた。それが丸4年前のことになる。不便さを理解したままそれを解決できないという気持ちが頭の奥底にずっと横たわり続けていた。あまりの長さ、そのささくれを放置しすぎると、次第に粘り気を帯びた不純物になり、悪い影響をもたらす。口座の数字と生活の余裕、製品の吟味、それと少しの決心を持って初めて机と椅子を揃えられた。

 このブログの雛形だけ作っていたのも4年前のその時期で、文章を投稿するまでに随分かかってしまった。

 こうして書いてみると、日頃Twitterに文とも言えない言葉を投げているせいか、なかなか難しい。学生の頃はもう少しすんなりと原稿用紙1枚分くらいは書けたのだが。というか書き始めるまでが非常に億劫である。

  文章自体は日常生活の中で思い浮かぶ。多くは仕事の単純作業の間にひらめく。Twitterで連ツイートとして上げるほどでもないものである。かといってメモ帳に書き留めるほどのものでもない。なぜなら、言葉にしようとすると3ツイート分ほどにしかならないからだ。

 

 昨年亡くなった三浦春馬さんの歌う曲「Night Diver」にこんな歌詞がある。

 

「きっと誰も知らない言葉が今僕の中で 渦を巻いてずっとloop loop loop loopして」

 

分かる、と言ってしまえばそれまでだろう。でもその思考を言葉、文字に表すのは至難だし、恐ろしい。「俺はこんなすごいこと考えてる!」という中二病に似た誇大妄想があって、それが砂の城のように崩れ去るのが予感できるからである。

 それでも文章を書こうと思ったのは、短いつぶやきに制約された文章力と思考を直したいと思ったためである。いずれTwitterに「負け」、つぶやきの集合としてしか思考を表現できなくなることが恐ろしく思えた。

 

 さて、ここまで駄文を連ね並べても文字数は800を超えることはなかった。スマホのスクロールにすれば2画面分にも届かないであろう。自分の衰えを強く感じる。語彙力も落ちて平易でありきたりな表現も多い。でも、今はそれでいい。ブログもTwitterも所詮、マスターベーションと同意なので、もう少し、好きに書いてみることにする。

 

 

今日はそんなところで。