リアル恋愛シミュレーションゲーム [短編小説]

  B氏は後悔していた。

 もし目の前に過去の自分がいたならば、ひどく叱りつけ、罵り、平手打ちを食らわせていたであろうほどには、彼は腹が立っていたのである。

 

 

 それは先日行われた高校の同窓会に出席した際のことであった。30を目前に控えた、いわゆる「アラサー」になって行われる同級生との顔合わせに、B氏は懐古と期待を胸に意気揚々と臨んだ。しかし、彼はこの世の終わりのようなショックを受けることとなる。初恋の女子が友人たちと結婚生活について語っているのが聞こえてしまったのだ。

 その初恋の女子は、彼にとっては特別な思い出である。現在に至るまで交際経験のない彼にとって、彼女は高嶺の花であり、希望であった。99.9%の確率で手が届かないとして、それでも彼女のことを考えるだけで浮足立ってしまうほどには。

 そんな希望が崩れ去ってしまったのである。

 聞けば、結婚相手は大手IT企業の幹部だという。おまけに2人の子どもにも恵まれたらしい。彼女夫妻が都内の一等地にそびえ立つ高層マンションで幸せを体現する中、毎日過労気味に、(奇しくもそのお相手の孫請け企業で)モニター画面と向き合う自分が、貴族と農民のような格差の中生きていることを知ってしまった。

 彼は己の世界を揺るがす衝撃に耐えられず、立食パーティーの途中で帰宅してしまった。彼を気遣う友人からのメッセージにも適当に返信し、そのままアルコールに身を任せるように彼は寝た。

 

 翌日、休みで良かったなと二日酔いで痛む頭に悩ませされながら、昨夜の「事件」を思い返すと、ふつふつと高校時代の自分に怒りが湧いてきた。

 なぜもっと声をかけなかったのか。なぜもっと関わらなかったのか。なぜ、なぜ、なぜ。そうすれば今頃は……

 自己嫌悪の渦に巻き込まれているところ、玄関のチャイムが鳴らされる。築年数に見合う古ぼけたチャイムに返事をしドアを開けると、そこには異様に肌の白いスーツの男が立っており、B氏にこう話しかけた。

 

「わたくし悪魔と申します、人生をやり直してみませんか?」

 

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 悪魔を名乗るセールスを部屋に上げたB氏は、半信半疑で彼の話を聞く。

「……で、この人生やり直しってなんだよ、時間でも巻き戻すのか?」

「それに似たようなものでございます」

 と一枚のチラシを見せてきた。チラシには「リアル恋シミュレーションゲーム」と派手な書体で書かれている。

「なんだ、これは」

 と聞くと、セールスは続ける。

「これはわたくしども悪魔が開発している、まさに新機軸のゲームでございまして」

 セールスはB氏を見つめ、まるで本物の悪魔のようにニタリと笑いながら、

「あなたの好きなアニメでも、歴史でも…もちろんあなたの高校時代でも土台にしてプレイしていただけます」

 と答えた。

 B氏の心は大きく揺らいだ。あの果たせなかった初恋を成功させられるかもしれない……!

 B氏は身を乗り出すように肯定の返事を返そうとしたが、ふと我に返る。相手は悪魔だ。何か、思いもよらない代償が発生するに違いない。そこでB氏は念を入れるように「悪魔」に問いかけた。

「……悪魔の誘いには大きな代償が付き物と決まっている。まさか命を取るとかじゃないだろうな」

 「悪魔」はまた薄気味悪い笑みを浮かべてスラスラと答えた。

「そんなことはございません。あなた方のその噂程度の言い伝えは、我々悪魔の中でも過去のお話ですよ。時代はSDGs、そう持続的な『開発』が必要なのです。」

 そしてそっと付け加えるように

「そんなに簡単に命をいただくのは、『勿体ない』ですから」

とつぶやいた。

 その言葉を聞き、心のうちに何かぬるりと冷たい感触を覚えたB氏は、念を入れることにした。

「それならば、俺からは何も取らないというのか?」

「今回はモニター扱いといたしますので、大層な条件はございません。強いて言えば、ゲームをプレイする時間をいただくぐらいでしょう。」

 B氏は説明を聞き、少し考えたあとこう言った。

「失われた時間を得るために、今の時間を使おうじゃないか」

「……ご契約ありがとうございます」

セールスの目は鈍く光っていた。

 

 

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 数日後、B氏が案内状を持ってやってきたのは、都心部の中心からは少し離れた、古ぼけた雑居ビルだった。半信半疑でビルの階段を上がっていき、目的の階につく。案内通りの部屋番号のドアには牡羊のシンボルが彫られており、チープながらもわかりやすいな、とB氏は思いながらドアを叩いた。

 出てきたのは先日家に来たあのセールスである。

「お待ちしておりました。どうぞ中へ」

 部屋に入るとB氏はたじろいだ。この部屋が入っている雑居ビルの外観とは似つかわしい、白で統一された無機質な空間だったのだ。窓には重いブラインドが下ろしてあるせいで、部屋は昼でも天井の蛍光灯を点けないと真っ暗であろう。

 そして、部屋の真ん中にはぽつんと椅子があった。銀色でピカピカとしたフレームに、重厚な革張りのシート。リクライニング機能がありそうだ。足置きまでついている、さながら近未来的なデザインと言ったところ。

「こちらに腰掛けてください」

 言われたとおりB氏が座ると、セールスはどこからかこれまた先進的なデザインのヘッドマウントディスプレイを持ってきた。端末はコードがいくつも繋がれたヘルメットのようで、少し重そうだ。

「もうすぐ、あなたのお望みの時間が得られますよ」

「はは、それは楽しみだ」

 軽口を叩きながらヘッドマウントディスプレイを被る。目の前の画面にはシミュレーション設定とあり、項目として年代やシチュエーション、自分の年齢やシミュレーションの舞台が挙げられていた。B氏は高校時代の記憶を確かめるように一つずつ設定していく。

 

 設定が終わり、「シミュレーションを開始しますか?」という表示にYesを選ぼうとすると、セールスが話しかけてきた。

「そういえば申し上げ忘れておりました。B様は今回モニターとなります。このゲームは開発中なこともあり、プレイ可能時間は30年となります」

「30年……?つまり高校3年間だけやり直すなら10回分もできるということか」

「さようでございます。ですが、もし少し代金をお支払いいただけるなら、追加のオプションもお付けできますよ」

B氏は興味津々に聞いた。

「なんだそれは?」

「恋愛のあとには結婚が待っているもの。このオプションを付ければ、射止めた方とのその後の結婚生活までお過ごしいただけます。」

「ほほう、それはおもしろい。どうせ貯金は全てはたくつもりだったんだ。それも追加してくれ。」

「承知いたしました。」

 新たな楽しみも増え、B氏は胸を踊らせながらYesを押した。

 途端に激しい眠気に襲われる。

 困惑と眠気の中で、セールスの「良き夢を」という声が妙に頭に響いていた。

 

 

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「あんた早く起きないと遅刻するよ!!」

 階下の母の声で目覚めたB氏は驚いた。付けていたはずのヘッドマウントディスプレイはなく、見回した部屋は高校時代の記憶通りだった。クローゼットには懐かしの学生服がピカピカと輝いている。

「ああ、本当に『戻れた』んだな」

 B氏は少し感慨にふけった後、遅刻しかけていたことを思い出すと、何年ぶりかに学生服に袖を通し、階下のリビングに向かう。

 食卓には懐かしい母の手料理が並んでいた。母も高校時代の記憶のママ、若く元気で少し口うるさいままだ。

「入学式から遅刻してちゃ笑われるよ、ほら早く食べな」

「うん、いただきます」

 懐かしい味に涙腺が緩みつつ手早く食事を終える。

 身支度をすませ、新品の通学カバンを手に玄関を開けようとすると、後ろから

「いってらっしゃい」

と母の声がした。ああ、本当に懐かしい。

「いってきます」

 B氏は少し恥ずかしそうに答え、家を出た。

 

 猛ダッシュによりなんとか入学式に間に合うと、式後はクラス分けと自己紹介の時間である。そして記憶では……

 振り分け先のクラスに入ると、心臓がどきりとした。

 あの初恋の女子がいる。

 そう、記憶どおりなら彼女とは3年間同じクラスだった。しかし、過去のB氏は結局業務会話しか交わせないまま卒業してしまったのだ。

 今度こそはそんな終わりは避けてやる。初日のHRが終わると、B氏はすぐに彼女に話しかけに行った。

「あ、あのよろしくね。……あのドラマ面白いよね」

「え、ああ、よろしく。Bもそれ見てたんだ」

 なんとなく素っ気ない返答をされた気がするが、今は会話をできたことを喜ぼう、とB氏は帰り道で己に語りかけていた。

 

 それから、彼女には事あるごとに会話をしに向かったが、高校生活が進むごとにクラスカーストやグループができたために、段々と近寄りがたくなってしまった。なんとか声をかけてもノリが合わない。結局、1回目の高1はうまくいかなかった。

 高2になり、少し周りが進路について気にし始める頃。ある日B氏はまたも同じクラスになった彼女の進路希望表が落ちているのに気づく。拾い上げて読んでみると、「第一希望 管理栄養士」と書かれた下に「ファッションデザイナー」という字が消されたあとが見えた。そういえば彼女は流行にくわしく、一時期読者モデルもやっていたという噂があった。なるほど、彼女にピッタリの夢だ。

 B氏が希望表を眺めながら納得していると、彼女がやってきて紙をひったくった。

「……何勝手に見てんの。キモい」

「い、いや落ちてたから......」

「落ちてたらプライバシー侵害していいんだ」

「それは違うけど……」

「はー、もういいから」

 そう吐き捨てると彼女は教室を出ていった。

 

 それ以後、彼女との仲は険悪になり、高2どころか高3まで話すことはなく、そのまま卒業の日を迎えてしまった。今回の失敗は、あの進路希望表の件だろう。しかしそこからハッピーエンドまで持っていくには、いかんせんパズルのピースが足りない。

 今後の計画を練りながら家に帰ると、自室のベッドの上には「やり直しますか?」というウィンドウが浮いていた。

 そうだ、次は1回分をまるまる使い、彼女を観察してみよう。そうすれば何か糸口が掴めるかもしれない。

 そう思いながらYesを押すと、世界が暗転した。

 

 

 

 

 2回目。1回目よりは余裕を持って学校に向かうと、振り分け後は早々にクラスへ入る。

 そういえば、朝起きてからの母の会話や旧友の会話は1回目と同じものだった。記憶をもとにしているのだから、よほど自分が行動を変えない限りはシナリオが決まっているのかもしれない。……まあその「決まったシナリオ」は絶望の未来なのだが。

 さて、3年丸々かけて観察していると、いろいろわかったことがある。高1に付き合った彼氏とは高2の夏に別れること。原因は彼女の親の厳格さにあること。進路希望は親の意向に沿って書き換えたこと。それでも実は裏でファッションに関する勉強をしていたこと。しかし高3の進学先決定で親の圧に負け、一般大へ進学したこと。華やかな見た目ながら浮つきすぎず、ひたむきなこと。

 自分が気づいていなかっただけで、高嶺の花と思っていた彼女は、相当な葛藤の中に生きていたようだ。B氏は己の浅ましさ、幼さを再認識した。

 そしてこの葛藤を解決できれば、真のハッピーエンドにたどり着けるんじゃないだろうか。2回目最終日の夜、やり直しの選択画面が表示されたウィンドウを前に彼女の観察メモを一通り見直し、次回のプランを練ってからウィンドウをタッチした。

 

 

 

 

 3回目からは試行錯誤の連続だった。彼女が仲良しグループに隠れて、放課後に通う図書館でばったり会ってみたり、休みの日に彼女の好きそうなファッション店が並ぶ通りにいってみたりと、彼女との接点を増やすよう心がけていた。あまりにも頻繁に出くわすものだから、普通だったらストーカー扱いされてしまうだろうが、やり直しにより記憶がリセットされている以上、そのような心配はあまりしなかった。

 そして6回目の高校生活にて、B氏はついに正解ルートを導き出した。彼女に高校入学時から積極的に話しかけ、かつ嫌悪感を与えずに好感度のみを上げていくのである。ここまでの繰り返しの中で、彼女の好みや嫌がること、趣味趣向を網羅し、彼女の悩み事や相談に対して的確なアドバイスを行い、信頼度を上げていった。そうして二人で外出するなど、好感度の上昇も図り、B氏は名実ともに彼女の中で大きな存在となった。

 成功した6回目の高校生活の卒業式後、もう見慣れた卒業証書の筒を手に家の前につくと、久々に見る怪しいスーツの男が立っていた。そう、あのセールスである。

「ご無沙汰しております。この度のご成功おめでとうございました。いやはや、なんともよき高校生活を送られたようで。」

「ああ、ありがとう。でも、これで高校はもういいかな。やりきれた。」

B氏は清々しい顔で答えると、セールスは相変わらず気味の悪い笑みを浮かべて、訪ねた。

「それでは、追加オプションの方を選ばれますか?」

そういえばそんな話を最初にしていたな、とB氏はようやく思い出していた。

「そうだったな、頼みたい。どうすればいい?」

「このままいつものようにご就寝までお過ごしください。その際、表示されますウィンドウでYesを押していただければ、高校卒業後の生活編へ移行いたします。」

「分かった。」

そうしてこころなしか浮ついた様子で家に入るB氏を、セールスは下卑た薄笑いをした目で追い続けていた。

 

 

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 こうして高校を卒業したB氏と彼女は、共に都内の学校へ進学した。B氏は国公立大、彼女は服飾の専門学校と進学先は異なったが、お互い数年の同棲を経て、就職と同時に結婚した。

 大手企業で勤めだしたB氏と自身のファッションブランドを立ち上げた彼女との間には二人の子供が生まれ、家は都内でタワマン、しかも高層階。まさに「成功した家族」という言葉にふさわしい暮らしをしていた。

 そんな生活も、高校生活で費やした分を差し引いて残り12年分となっていた、体験期間の終わりが迫っていた。B氏は、残り1ヶ月のところでの、枕元に現れたあのウィンドウ通知に、改めて「夢」の終わりを思い知った。まだ終わらせたくないと、密かに何度もセールスへ伝えようとしていたが、「申し訳ありませんが、体験期間の延長は承ることができません。」というセールスからのメッセージが、ウィンドウに表示されるのみだった。B氏は現実を受け入れるとともに、最後に何か爪痕を残したいと考えていた。そんな折、夫妻のもとに高校の同窓会のお知らせがやってきた。それも、日取りは期間終了日である。B氏は考えた。現実では惨めな思いをしただけだったが、今度はそのお返しをしてやろう。彼は彼女に同窓会出席の旨を伝え、それと同時にどんな言葉でクラスの皆を嘲笑おうかとイメージトレーニングに励んでいた。

 同窓会当日、ハイブランドの高級なスーツに身を包んだB氏は、同じく高級なドレスを纏った彼女を連れ、同窓会に向かった。会場では、仲良くしていた友人と談笑しながらも、自らの成功っぷりを存分に見せつけていた。会話が漏れ聞こえる。

「あいつ、大手の〇〇で部長らしいぞ」

「しかも年収は2000万はあるらしい」

「タワマンで、家族暮らしだろ、いいよなぁ」

 B氏はこれ以上なく満悦していた。これだ。この目を浴びたかった。この羨みを。この妬みを。どうだ。これが俺だ。

会はもはやB氏の独壇場となっていた。




同窓会後。帰宅して就寝準備をする。彼女と子供はすでに寝てしまっているが、B氏はある意味では「もう眠れない」。ベッド上には忌々しいウィンドウが浮き、「体験期間終了です。ご利用ありがとうございました。」と表示されていた。

彼は最後に、愛しい妻となった彼女と子供の額にキスをすると、ウィンドウのYesに触れる。

「さよなら、俺の家族。」

B氏は意識を失った。

 

 

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 B氏が目を覚ますと、眼前には最早懐かしいヘッドマウントディスプレイがあった。手で押しのけてシートから立ち上がる。長いこと寝ていたために体に力がうまく入らず、少しよろめく。ふと、誰かに支えられる感覚があり、振り向くとあのセールスがいた。

「長期間お疲れさまでした。」

「……ありがとう」

「いかがでしたか、さぞかし楽しまれたことでしょう。」

「……ああ、本当に楽しかった。長い夢だった。」

「それは良かった。」

 セールスが水の入ったペットボトルを差し出すと、のどが渇いていたのか、B氏は一気に飲み干した。

 セールスはひとまず落ち着いた様子のB氏に話しかける。

「改めまして、ご体験ありがとうございました。体験本来の『料金』はもう頂いておりますし、追加オプションの代金は後日『ペイフル』で請求させていただきますので、ご確認ください。」

B氏は首を傾げた。

「ん…? 俺はもうなにか払ったか? そしてなんだその『ペイフル』って。俺は聞いたことないぞ。」

セールスは待ってましたと言わんばかりに口角を上げながら、

「『ペイフル』は電子決済システムなのですが…おっと、失礼しました。一点説明し忘れていましたが…」

セールスが閉じていたブラインドを上げると。

 

 

窓の向こうには、明らかに体験前とは違う都市が広がっていた。

見たことのないビル群に浮遊する車、人の服装まで違う。



「…おい、なんだよこれ」

「体験開始時より、終了まで30年経過しております。」

B氏はセールスが何を言っているのか理解できなかった。しかし、契約前にセールスが言っていった「強いて言えば、ゲームをプレイする時間をいただくぐらいでしょう。」という言葉が頭をよぎっていた。

「お前…まさかっ!?」

「はい。『プレイ期間そのままの時間とプレイ中感情の動き』が『料金』でございます。」

「ふざけるのも大概にしろ!今すぐ返せ!」

 セールスは深くお辞儀をし、

「それはできかねます」

と返したのだった。

そして、続けて

「お帰りはあちらへ。」

とドアを指し示した。

 もはやB氏は30年何もしていないどころか、存在証明できるかすら怪しい時代の難民になってしまったのである。

「……そうか……ああ……命すら取ってくれないんだな……。」

セールスは答える。

「ええ、時代はSDGs、そう持続的な『開発』が必要ですから。」

「持続的……そうか……」

 B氏はうなだれながら出口へと向かった。

「またのご利用をお待ちしております。」

 セールスの言葉を背に部屋を出るその表情は青ざめながらも、口元にはなぜかわずかな笑みを浮かべていた。