机と椅子買ったし何か書く

 何か長めのものを書く趣味を持とうと思ったとき、ちゃぶ台では都合が悪いと初めて気づいた。それが丸4年前のことになる。不便さを理解したままそれを解決できないという気持ちが頭の奥底にずっと横たわり続けていた。あまりの長さ、そのささくれを放置しすぎると、次第に粘り気を帯びた不純物になり、悪い影響をもたらす。口座の数字と生活の余裕、製品の吟味、それと少しの決心を持って初めて机と椅子を揃えられた。

 このブログの雛形だけ作っていたのも4年前のその時期で、文章を投稿するまでに随分かかってしまった。

 こうして書いてみると、日頃Twitterに文とも言えない言葉を投げているせいか、なかなか難しい。学生の頃はもう少しすんなりと原稿用紙1枚分くらいは書けたのだが。というか書き始めるまでが非常に億劫である。

  文章自体は日常生活の中で思い浮かぶ。多くは仕事の単純作業の間にひらめく。Twitterで連ツイートとして上げるほどでもないものである。かといってメモ帳に書き留めるほどのものでもない。なぜなら、言葉にしようとすると3ツイート分ほどにしかならないからだ。

 

 昨年亡くなった三浦春馬さんの歌う曲「Night Diver」にこんな歌詞がある。

 

「きっと誰も知らない言葉が今僕の中で 渦を巻いてずっとloop loop loop loopして」

 

分かる、と言ってしまえばそれまでだろう。でもその思考を言葉、文字に表すのは至難だし、恐ろしい。「俺はこんなすごいこと考えてる!」という中二病に似た誇大妄想があって、それが砂の城のように崩れ去るのが予感できるからである。

 それでも文章を書こうと思ったのは、短いつぶやきに制約された文章力と思考を直したいと思ったためである。いずれTwitterに「負け」、つぶやきの集合としてしか思考を表現できなくなることが恐ろしく思えた。

 

 さて、ここまで駄文を連ね並べても文字数は800を超えることはなかった。スマホのスクロールにすれば2画面分にも届かないであろう。自分の衰えを強く感じる。語彙力も落ちて平易でありきたりな表現も多い。でも、今はそれでいい。ブログもTwitterも所詮、マスターベーションと同意なので、もう少し、好きに書いてみることにする。

 

 

今日はそんなところで。